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懐かしの全国中学校サッカー大会と「飛び級」について

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全国大会に出でもう四半世紀以上。中学2年生の時に全国大会に出ました。ただ今と環境が全く違うので今の子供達の参考にはならないのであしからず。

四半世紀前のサッカー事情

当時はクラブチームなどは無く、サッカースクールも無い時代。テレビでは「テレビ東京」が頑張ってダイヤンドサッカーと言う番組で海外の試合を2週に分けて1試合を放送していた時代です。

もちろんJリーグはなく日本リーグ時代。読売クラブ、日産、与那城ジョージ、アデミールサントス、マラドーナ。メキシコワールドカップ。

ワールドカップはテープが擦り切れるくらいビデオ見ました。

当時は特定の強豪校というのも無く、実力の差もあまり無くどの学校にもチャンスがあって毎年違う学校が全国大会に出でいました。

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全国大会に出られた要因

中学2年生の時に当時強かった教員チームでサッカーをしていた先生がサッカー部の顧問になった事

もう一つはひとつ上の先輩に上手い人が数名いた事。私はたまたま顧問先生に気に入られたのか、運良くひとつ上の試合に出させてもらっていた。

その顧問が来てから、それまで居たイカれた顧問の訳のわからない練習とは内容が180度変わり、より実戦に近い練習になり、足りない部分を徹底的に強化する練習になった。

練習では技術的な事はほとんどやらずにいたので、個々の技術はそれほど変わってないのにすぐに試合では簡単には負けないチームになったよね。

全国大会に出るまで20連勝くらい。今考えれば顧問の先生もメンバーが揃っていたし、育成とか言ってる期間も無かったので完全に勝ちに行くサッカーをしていたんだと思います。

県大会で優勝した後の関東大会で3位、全国大会では静岡県代表と初戦で当たり完敗。

関東大会、全国大会で対戦した相手には後のJリーガーや日本代表に登り詰めたすごい選手もいたので、本当に良い経験ができたし上手い選手がどういう選手か体感出来たので素晴らしい経験をさせてもらいました。

コーチがその気になればある程度勝たせる事はできる

自分達の年代はそれほど強くなかったので、死ぬほど走らされました。走る事で技術力をカバー。

そんな甲斐あって下手くそなりに市内大会と地区大会優勝。県大会では優勝出来ず、全国大会には出られなかったけどそこそこの結果を残せました。

指導者のやり方次第では、ある程度勝たせられる事をその先生は証明していると思います。

勝ちと育成

この顧問の先生の場合、勝つためにチーム力を上げる事に徹底して結果を出した。個々の技術力・育成は完全に土返しにして…。

全国大会に行けたのは間違いなくこの顧問の先生のおかげなんだけど、勝ちを求めた事により試合に出れなかった先輩もいる。

実際に後輩の私にユニフォームを貸してくれた先輩は、地方で行われた全国大会に人数の制限もありメンバー外となり現地には行ってない。サッカーやってて自分のチームが全国大会に出場するのにベンチにも座れず、試合すら見れないなんてあまりにも非情ですね。(でもそれがサッカー)

当事者の私も行ける事が嬉しくて先輩に対して何かを思う感情はあまりなかったように思う。

帰って来てユニフォームを先輩に返す時に顧問の先生に言われて県大会の優勝のメダルを先輩にあげたけど、今考えれば屈辱だったんじゃないかな?

今はもう面識もないので、どう思われたか知らないけど「飛び級」させた場合、その事で枠から外れて大切な経験が奪われる選手がいるという事も忘れてはいけないと思います。

もうすぐ新年度なので「飛び級」のあり方を考える良い機会になれば良いですけど。

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